ナムアミアン

アニメ/音楽/映画/美術の話などをする予定でした。

イヤホンの充電満タンになるまで時間潰し執筆

グレイテストショーマン見ました。なんだこの映画は、と悲しくなって、私は途中でセッションを見返しました。グレイテストショーマンは歌も上手いし、映像もいい。でも深いアイデアを感じることはありませんでした。作品内の時間軸が曖昧だった点は、各々の時間の認識で鑑賞できて作品がたっぷりしていた満足感はありましたね。(以下細々した感想)

 

長いので、目次

 

 

グレイテストショーマン感想

ミュージカルの定石なのかもしれませんが、成功の過程を表したりしないんでしょうか。セッションは、スターがスターになるまでの過程の話だったのに比べて、グレイテストショーマンは歌の力でもって実現性のリアリティを出す、というか、主人公の成功の過程(設営準備など)は描写せず、歌だけを内容の根拠としている。その点、「グレイテストショーマンはミュージカルでいいじゃない映画でやる必要がない」を払拭するための、冒頭の幕の後ろで主人公がステージへ上がるシーンがあるのだと思います。冒頭だけ、ショーの裏側を演出しているのは、暗闇による映画館での臨場感のある引き込み、ショー本趣旨以外のドラマ性を映画と定義するような監督側の意向が見えてきますね。それに、カメラワークがとってもよかったね、もう一回見直して勉強します。主人公が成功を目指すための歌唱以外では、ずーっと主人公に影が当たり続けていたのは、なんだろう。光を灯すような動きを足したいからと思ったが、全体を通して、スポットライトを浴びる時は全部引き。オペラ歌手とのカーテンコールみたいなものでは、ちゃんと主人公がオペラ歌手のスポットライトに入れてもらっていた。光が主人公に追うことはありませんでした。なぜなのかは、よくわかりません。

人種問題に触れたようなところがありましたが、サーカスって身売りで粗悪なイメージがありますから、炎上しそうなところは綺麗に攫っている(主人公の部下に対する無理な注文、サーカス団長の強引さで終結させている)ところに冷めちゃった。チキンも冷めちゃった。

映画の出来栄えを主人公の「想像力の膨らむ嘘をついているんだ」に帰着させているところにも冷めちゃったんだよな。アメリカ流の、最後は家族と幸せに暮らそう、みたいな価値観もあって終わり、そういうもんなんだな〜って感じ。アニメでやったらちょうどいい脚本感なんじゃないのかなと思いますね。

高校の時に、簡単な英語の絵本を読まされて、その話が家の地下に歯車みたいな遺産が見つかった話だったんだけど、他所から来た鑑定人が、歴史的に価値のある文化遺産ですよ!とか言い出し、人にあげて金にしたんだよ。博物館に飾られて終了だと思ったら、最後文化遺産の歯車の金で、高級ビリヤード買ってた。こういう国の違いを見ると面白いな〜って思う。

 

この作品でも、何度もエンターテイメントという言葉が繰り返されたが、こういう経緯を持ってして、エンタメの神格化がされてんだね。私はここで、エンタメとは世の中の事件から加害性や悲劇性を薄めて、楽しめるようにしたものと申し上げたが、宮崎駿の現代において古典的冒険活劇はありうるかという演説でいい考えをもらったのでここに記しておこう!!(すごい意訳で、十分じゃないので調べてください。)

昔の食べていけないような時代は、敵というものがはっきりしていた。食べていくのに必要な悲劇で十分だったけど、今はそうじゃない。大戦争が起こって負けて、蓋を開けたら自分も敵も同じように家族を思って生きていた人間だったんだと知った。豊な時代に敵という存在は曖昧になった。ではなぜ今も冒険譚が人気で、少女漫画では世を絶する意地悪な娘が出てくるのか。それは、みんな生きていてよかったって思いたいから。みんな映画館を出て、ああ生きていてよかったなって思いたいんだ。

って言ってました。創作って、自分が正義のヒーローになった気になって見ているわけじゃない。みんな生きていてよかったと思うから、見ているんだなって思いましたね。尾崎豊も、子供の頃は勧善懲悪の精神が強かったと回顧していて、いじめの正体は勧善懲悪の心なのではないか、ということを示唆していました。私に子供は純粋ゆえ残酷といった教師がいましたが、そうじゃないと思う。勧善懲悪の創作は共感を呼びやすい、わかりやすい物語の構造になっているから楽しい。だが子供はそれを虚構と知らずに、世の中へ実行してしまう心があるんだと思う。社会は子供の実現性にどのように向き合っていくのか考えて、幼児向けの創作をしてほしい。創作は世界を変えられるって、大袈裟ではなく私は思います。

 

 

ボーカロイドと宗教

宗教について興味があった時期があって、色々本読んでたんですけど、なんかすごいオタクみたいだなって思ったのね。二次創作みたいだなって。本家(聖書)があって、音楽やったり、本出版したり、絵を描いたり、新しい解釈を考える哲学科がいたり。それに今一番近しいのは、ボーカロイドだなと思う。当時のニコニコの運営体制の良さもあると思うけど、各々が実在性を伴っているというか。みんなで信じて作り上げているからそこにいるような気がしてくるんだと思う。宗教がなぜボーカロイドにこんなに似ているのかは、創意を抱けるからなんだと思います。宗教って、なぜハマるのかってコミュニティを有するからでしょう。共通の話題があるというのは人間を活発にする。だから、政治にも利用されたんだと思う。(政治に利用されたのは、人間関係のメソッドが詰まっているから人道的に動かしやすいというのもあると思うが。)宗教は、人を殺したりもあったけれど、生きていてよかったに非常に該当するものだと思う。でも私は、右翼の三島由紀夫が官邸で反逆を起こしたような志が好き♡

でも私も全然わかってなくて、そういう惨劇などの歴史を知りませんので、これからは概念や経典を眺めるのではなくて、そういう二度と起こしてはいけないことを重点的に調べてゆくこととします。