ナムアミアン

アニメ/音楽/映画/美術の話などをする予定でした。

エンターテインメント性とはなんだろう

エンターテイメントのためって一体なんだろうと思う。エンターテインメントって、経済学の中の一種の業種のことを指すのかと思っていた。でも、世間では、一般の社会生活の一層上のような含みを持って語られる。私は、活動の経緯を説明された時に、エンタメのため、と答えられるとがっかりしてしまうんだ。でも、お笑いも好きだし、遊園地やレジャーは好きじゃないけど、映画やアニメ、漫画だって好きだ。お笑い芸人が自分の活動をエンタメのためにと言ったら、それは非常に納得できるのに、音楽家や映画監督、アニメーター、漫画家が自分の活動をエンタメと言い出したらがっかりしてしまう。僕らは友のように心を明かしてきたじゃないか、みたいな気持ちになっちゃう。もちろん自分は作者の友ではないのは百も承知だが、ごんぎつねが母を亡くした兵十の後をつけたように、熱意を持って共感してきた、からかもしれない。

太田光は、よくチャップリンの自叙伝を引用することがある。羊飼いがトラックに羊を乗せていて、街へ出た時、柵が壊れて羊が一斉に出てきてしまう。大の大人たちが暮らしのために、必死になって羊を追いかける。転び駆け回りながら、逃げる羊を追いかける光景がすごく面白かったんだって。チャップリンはそれをお笑いと定義して、人生は喜劇だと言ったとか何とか。定かではないので調べてください。私も、書き終わったらまた見返します。そんな感じで、エンターテインメント性なんていうものは、こういうことを言うんじゃないかと思う。世の中の事件から、加虐性や本質を薄めて、楽しめるようにしたもの。現代では、ウォルトディズニーだかがエンタメの礎を作ったからなのか知りませんが、虚構を虚構と思って楽しむ、アイロニーな存在のことを指すような気がしてならない。奴らが夢の国と自称するように、現実への反のことで、現実ではない。現実に機能し出したら、それは芸術的価値があるというものなんじゃないのかな。

ただ、笑ったりするだけで、すごく価値のあることだって私も思う。Creepy Nutsのサントラにも「人の感情以外何も生み出さぬ仕事」ってあるもんね。対立的にエンタメと芸術を語る人もいるけれど、私は、エンタメを芸術に底上げしたい、世の中がそうなってほしい。でも、エンターテイナーから、それじゃエンタメにならないよ、と言われたりするんだろうか。

話変わるけど、本を納得しながら読んでたら、自分の考えと矛盾するような話の流れになった時どうしてます?読み進められなくなるんだけど。頭がヒッチャカメッチャカになって。