ナムアミアン

アニメ/音楽/映画/美術の話などをする予定でした。

重い決断をする人を応援する人間でありたいよ

YouTubeで、立川談志さんの講義のような番組が上がっていました。立川談志曰く、「人間のすべての事柄は不快感の解消から始まる」そうです。例えば、売れない芸人がいたとして、その人が今のままじゃダメだと思うなら、売れるに伴う努力をしている。逆に、自分の先を読んで「自分なんか売れない」と悲観している内はまだ現状を不快に感じていない、売れなくてもいいと思っているということらしいです。立川談志は続けて、その不快感を自分で排除しようとするのが文化で、不快感を誰かに解消してもらえるようになったらそれは文明である、とも言っていました。なるほどなと思うでしょ。私もこの回は好きで何回も閲覧しています。

こういう筋の通った話を聞くと世の中が整頓されたように感じる。私はそういう言葉や観念を探して生きています。自己啓発的と笑われるかもしれないけど、信じて生きていくには十分な鋭い内容だと思います。私は知識は人を許すためにあると思うので、このように観念的な言葉を積極的にみんな探して生きていったらいいと思います。世の中に対して、納得できる心優しい答えを捻出できるはずなので、なぜ人は賢くあろうとするのかと問われたら、私は優しさのために知識を積んでいると答えます。

私は、自分がどう感じて苦しんで決断しようが、それを受け入れてくれることは少ないんだなと言う経験が多くありました。父親の言動とかね。私が涙ながらに説得しても、「演技をしているのか」と呆れられるようなことがありました。確かに私は劇的な言葉遣いをしてしまいますが、泣いている人間の前では言えないと思う。でも、私は父という存在は子どもの言い分を聞くべきだと思っていた甘えがあったとも思う。父は自室に篭るようになってましたので、ただ不健康な家庭の様子について、私は父に責任を押し付けてきた。

子供に親が親であるべきと言う観念を発生させる学習はすべきではないね。自立精神を欠くから。結局は家を出ていく将来があるってことの方を伝えていくべきだったのかもしれない。その方が健康的な家庭が築けるのでは?絵本とか、「ママはあなたのことが大好きだよ」みたいな本が大量に流通しているが、結局絵本は親が買うので、子どもは親が選別した図書にしかそうそう出会えないよね。流通とか、売り上げとかを気にするせいで、ママは大好きだよ系統の本しか発生しなくなるし、不健康な家庭が生まれることになるんだから。消費って怖いよ。

まぁいいんだそんなことは。とにかく私は、苦しんだと言う経験は人生の何の足しにもならんと思うんです。一度集団からやんわり排除されてきた人間は、もう傷つける側に立ってしまった生き方しかできないから。その状況を超えていかなきゃいけない。常に新しい議題で熱くならなきゃいけないんだ!!!!!!!!!!!と思っている。だからもっと、本を読むし。自分の作品を増やしていかなくちゃ!!!!!!!!

今日は短めにこの辺で。